山上ヶ岳とも称される標高1,719Mの修験道の聖地。様々な登拝道があるが、現在では天川村洞川からのルートが一般的。女人禁制が布かれており4カ所の女人結界門が存在する。道中には鐘掛岩や西の覗などの「表行場」、また山頂付近には蟻の戸渡りや平等岩などの「裏行場」、と呼ばれる難所が存在し、今なお多くの山伏が入峯修行を行っている。
国の重要文化財の寺院であり、世界遺産の一部としても登録されている。吉野山にある金峯山寺本堂(蔵王堂)を「山下の蔵王堂」と言うのに対し、大峯山寺本堂は「山上の蔵王堂」と呼ばれる。
毎年5月3日に戸開式(開扉式)、9月23日に戸閉式(閉扉式)が深夜丑三つ時に執り行われ、この期間が大峰山の山開きにあたる。堂内には「秘密さん」と言われる、役小角自らが刻んだとされる行者像が祀られ、特別な許可(護寺院発行の参拝券が必要)がないと拝むことができない。
後に天武天皇となる大海人皇子が、吉野山に咲き誇る満開の桜の夢を見て目覚めると、冬だというのに一本の桜が堂々と美しく咲いているのを見つけ不思議に想い、役行者の高弟である角乗に夢判断を命じた。角乗は「桜の花は日本の花の王です。この夢は殿下が天皇の位に就かれるよい知らせでしょう」と答え、実際その言葉通り天武天皇として即位された。そしてこの夢に見た桜(天武天皇「夢見の桜」)を見つけ出し、そのもとに道場を建立し「櫻本坊」と名付け、角乗を住職として迎えた。これが桜本坊の由来である。
以来、修験道の根本道場として法灯を守り続け、今日に至っている。
役行者が生駒明神に参拝した折、託宣により鳴川の里に導かれ、千手観音を祀るために草堂を建てたのが起源とされる。役小角はこの地で前鬼・後鬼を従えたとされ、山号に「鬼取山」と名の付く鶴林寺という寺院も実在する。
修行の折、南方に霊威を感じた役行者は、二上山・葛城山・金剛山・友ヶ島(この道を葛城修験と言う)を経て熊野に入り、その後大峯山を開山した。山上ヶ岳での大峯開山前に修行していた場所であることから、「元山上」とも呼ばれ、また、母白専女もこの地で修行を続けたとされる言い伝えから、女性の修行者も受入れ、「女人山上」とも称される。女性の修行道場として、今も尚、多くの修行者が集っている。
役行者は息子を気遣う母、白専女(しらとうめ)を危険に晒したくないと想い、母公堂(ははこどう)を建立し、此処に母を住まわせた。この母公堂脇から延びる稲村ヶ岳(1,726M)への道は、女人禁制の大峰山(山上ヶ岳)に対し「女人大峰」と呼ばれ、女人修行の道場とされ多くの女性行者が登拝している。その頂には大日如来が祀られている。
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