修験の道へ【阪堺役講 京橋南組】

人はなぜ山に登るのか。
自然に癒されたいから。きれいな景色が見たいから。
さまざまな理由があるとは思いますが、共通するのは「非日常」の経験を
得ること、なのではないでしょうか。

混沌とした今を生きて行くため、
「非日常」を得ることで安穏を獲得し、蘇生力を養う。
山岳信仰は、これをもっと高度に感得できる道なのだと思います。
「覗き」と呼ばれる行場での擬死再生の体験や
数日間に渡る山中での抖擻(とそう)。これら
日常では有り得ない「修行」経験が、
既成概念を覆し、新たな価値観を創出させる。

「山の行より里の行」という言葉があります。
この意味のとらえ方は人によって異なるのでしょうが、
「真実は、深い研鑽とともに、現実と対峙し、
自身の中にこそ見出すことができる」
というのがその意なのではないかと考えます。

多様な価値観が交錯する現代に於いて、
大いなる威光と包容力のある天地自然に有難さを抱き、
感性を研ぎ澄ませ、人間力を身に付ける。
時代時代を生き抜く力の源が「修験道」には
存在すると思われてなりません。

鏡掛岩
  • 大峰山

  • 修験道の聖地、大峰山。
    「山上ヶ岳」と呼ばれるその頂きまでには多くの難所が存在し、
    役行者が衆生済度のため祈り出された金剛蔵王大権現が鎮座する
    「大峯山寺」が存在する。
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修験道
  • 修験道

  • 日本古来の山岳信仰と仏教が融合した、神仏習合の信仰である。
    役小角により開かれた修行得験、実修実験の道とされる。
    大きな解釈力を有した、包容力のある、生きた宗教とも言える。
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山伏
  • 山伏

  • 山に伏し野に伏し、山林抖擻する者を言い、
    修験者・行者とも呼ばれる。
    山と里の世界、いわば天界と下界とを繋ぐ存在である。
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